「*** in Residence Kyoto」とは何か?独自の仕組みがまなざすビジョン

 
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2024年度から始まった「*** in Residence Kyoto」。従来のアーティスト・イン・レジデンスの「アーティストを招き、滞在してもらい、成果物を完成させる」という枠組みにとらわれず、さまざまな課題解決や新たな価値創造に向けて取り組んできました。そうした事業の中心となり、仕組みを構築した田貝雅和(TBWA \ HAKUHODO)、杉田真理子(Bridge Studio)、皷谷直紀(アソボロジー)、倉谷誠(京都市役所)の4名で、2年間のモデル事業を終えた今「*** in Residence Kyoto」独自の仕組みに込めた想いについて振り返りました。
取材・文:浪花朱音 翻訳:オーリガ・ツォイ 撮影:株式会社マガザン

既存の「アーティスト・イン・レジデンス」の枠を超える

─まずは「*** in Residence Kyoto」(以下「***」)がどのように立ち上がったのか、その経緯を教えていただけますか。 
倉谷
京都市では京都芸術センターが中心となり、アーティスト・イン・レジデンス事業に取り組んできました。仕組み自体はものすごく良いものですが、毎年数件の公募に数百件の応募が集まるなど、京都に来て中長期滞在制作をしたいという多くのアーティストのニーズを受け止めきれていない状況です。また、京都芸術センターには、施設内に滞在機能はありません。現代アートに限らず、他の分野のクリエイターにも当てはめて運用できないか、まずは文化芸術部門から何か企画をすることで、京都芸術センターにとっても恩恵があるようなことができないかと考えていました。同時に京都市には都市経営戦略室という部署がありまして、そうした想いを担当職員の方に共感してもらえたため、企画を考えていくことになりました。人口戦略としても、まちとの関係人口を増やす試みとして、中長期滞在などができるのではないかという意見が出ました。そんな話をしている中で寄付のお話をいただき、事業が実現できる見通しがたったところ、京都市長が現在の松井孝治に変わったことも大きく関わります。市長が掲げる方針のひとつ「海外のクリエイターを積極的に招く」という考えと本事業の取組みが重なり、政策の大きな柱になりました。それぞれの部署が抱えていた想いがひとつのストーリーになり、実現することができた、そんな事業だと考えています。
─個々の現場で感じていた必要性が、ひとつのかたちとして実現したのですね。そこから杉田さん、田貝さんらが加わり事業が構築されていったかと思いますが、「*** in Residence Kyoto」という名前はどのように生まれてきたのでしょうか。
杉田
 
最初に言い出したのは誰でしたっけ? 自然発生的に生まれた言葉で、とりあえず埋めていたものが正式名称になったという印象ですが、田貝さんはどうですか?
田貝
私は結構覚えています。というのも、自分が出した案がことごとく却下されていたので。
一同
 (笑)
田貝
 
たとえば「イノベーター・イン・レジデンス」という案を出した時は、杉田さんから「それはちょっとビジネス臭が強すぎるから、却下」と言われたり(笑)。じゃあなんだったらいいんだろうと、いろいろ当てはめて考えていました。並行して、杉田さんがネットワークのある海外クリエイターの方ともお話をされていたのですが、その対話の中で「*(アスタリスク)」という言葉を付けるのがいいんじゃないか、という話が出たそうなんです。英語ネイティブの感覚としても、アスタリスクは「無限大」という意味を持つそうです。私が最初に出した「イノベーター」だとわかりやすいんですが、すでに世の中に浸透している特定の概念と紐づけたような印象もありますよね。ここからは私の解釈ですが、既知として世の中に流通している概念っていうよりも、まずはその意味自体から自分たちで探っていくような言葉がいいんじゃないかと考え直し、この名称に決まったと思います。
杉田 
 
素晴らしい記憶力です。ありがとうございます。思い出してきたのですが、最初は「(ブランク)」をつくったりしていましたよね。「   in residence」のような。
杉田真理子
杉田真理子
田貝 
それも候補にありましたね。
杉田 
私自身、もともと観光以外の目的で長期間海外に滞在することがありました。そういう時に何かプログラムに参加したくて調べてみると、アーティスト・イン・レジデンスはたくさんあるんですが、いわゆるビジュアル・アートやパフォーミング・アートなどの分野で活動してきていないとそもそも応募ができないことが多い。たまにリサーチャーやライターの応募はありますが、アート分野で閉じられていることが多く、私のようなさまざまな活動をしている人は参入しづらいんです。自分自身の感じてきた悔しさがまずありました。なので、私が運営する「Bridge Studio」をオープンした時も、最初は「アーバニスト・イン・レジデンス」という名前をつけ、ひろく活動をしている人たちを受け入れることから始めました。実際にはアーティストも来ますが、デザイナーや教育者も来て、できるだけひらいて受け入れていくことの重要視やニーズを感じてきました。その経験もこの事業に取り組むモチベーションになったかなと感じています。

探ることで見えた、ユース・コーディネーターの存在

―この事業のポイントのひとつが、ステークホルダーがすごく多いことだと感じています。一方で複雑なぶん、まとめるのが大変だったかと思いますが、相関図にすることで事業について理解いただくことができたのではないでしょうか。
田貝
 
我々は「ビジョン・マップ」と呼んでいるのですが、半年ぐらいかけてチームメンバーでこの相関図のもととなる資料をつくりました。なぜこのようなマップが必要だったかと言うと、先ほどの名称の話にもつながりますが「***」とは未知の概念なんですね。まさにみなさんと未開拓の地を切り拓いていくように進めている状況なのですが、そこで見える景色や、その先にひろがる景色はどんなものなのかを、後に続く人たちに対して見せていけるツールが必要だと思いました。実際に初めての旅先に行くと、ガイドブックやマップを買ったりして、ここでどんなことができるのかを考えますよね。それと同じように「***」に何か関わりたいと思っている人が、自分はどんな役割で関われるのか、その結果どのように自分自身を成長させることができるのかをイメージしてもらえるようなマップができると良いなと思ったんです。
 
2025年度のビジョン・マップ
2025年度のビジョン・マップ
―中長期的な目線も必要となり、大変な作業だったのではないかと感じます。
田貝
そうですね。どのようにつくっていったのかというと、1年目に実際にレジデンスを行った実績から、そこに関わったそれぞれのステークホルダーがどのような動機でこの取り組みに関わったのか、その結果何を得たのかを洗い出していく作業をしました。スプレッドシートに書き出していくと、立場ごとに共通しているものが見えてきます。それらを抽象化し、削ぎ落とすような作業をしていくことで、複数の役割をこなす人の存在が見えてきたんです。今の時点での「***」を成立させるには、このような役割の人が必要なんだと認識し、定義できたんですね。その存在が、コーディネーターとユース・コーディネーターです。コーディネーターは「大人」、ユース・コーディネーターは「そのアシスタント」というイメージがマップをつくる前にはありました。ただ洗い出していく中で、そうではなく、ユース・コーディネーターにはユース・コーディネーターにしかできないことがある。コーディネーターの下位互換のような位置付けをするのではなく、この立場ならではの位置付けがあるんじゃないか、ということが見えてきたのかなと思っていて。そのあたりはぜひ、皷谷さんのお話を聞きたいです。
Zun Ei Phyuとユースコーディネーター
Zun Ei Phyuとユースコーディネーター
皷谷 
この事業が立ち上がるきっかけに、寄付者の方の「京都市内にいる若者のいろんな経験や体験に使ってほしい」という想いがありましたよね。僕は、それをどう事業に組み込んでいくのかということでこのチームに加わりました。若い世代の彼らに何をしてもらうといいのか、どういう存在であるといいのかはずっと考えていて。田貝さんがおっしゃったようにこの事業はステークホルダーが多く、直接的に担っていく人だけではなく、京都で事業をやっている方や、地域住民へとどんどん広がっています。さらに京都は10人に1人が大学生と言われているまちで、彼らともつながりながらやっていける枠組みをどのようにつくっていけるのかを考えていく中で、ユース・コーディネーターが立ち上がりました。1年目はクリエイターの一番身近な存在として経験していくような立場として関わってもらい、滞在中の細やかなことを担ってもらいました。ただ、どうしても滞在のサポートに留まってしまいちょっともったいなさも感じていました。2年目となった本年度は「多様な交流を生む主体となって活動をしてください」と伝えました。「主体的に関わってほしい」というのはもちろんなんですが、ここでは「主体として関わる」ことを大切にしています。「主体的」と「主体として」は言葉として違いはないんじゃないかと思われがちですが、結構違うんじゃないかと考えています。つまり、指示を受けて、なんでもやりますと前向きに捉えてやってもらうことではなく、ユース・コーディネーターの彼らだからこそできることをやってもらうのが大事なんじゃないか、と。レジデンス・オーナーや地域住民、コーディネーターが「クリエイターとこんなことをしたいんです」と言うのと同じように、ユース・コーディネーターからも自ら関わりを持ってもらえる立場にしたいと思いました。
―ユース・コーディネーターに対し、「***」は「大学以外の学び場」というイメージも感じました。
皷谷 
そうですね。大学だと学校で定められたことしか学べなかったり、就職活動もあるので逆算的にやっていかないといけないこともたくさんあったりします。「***」は、計算せずにやりたいことに取り組むことがしづらくなった時代に、そのような機会が持てる場にしたいと思いました。それから、若い世代が、「経験になるからいろいろやってみたらいいよ」と言われて、都合よく使われる状況ってたくさんあると思うんです。そうならない仕組みはどうすればつくれるのかも、意識していました。
Juhyun Hwangとユースコーディネーター
Juhyun Hwangとユースコーディネーター

「創造的滞在」に必要な、学びの姿勢

Connor KirkによるAI講座の様子
Connor KirkによるAI講座の様子
―2025年度を終えた今、どんなことが印象に残りましたか?
杉田
現場で印象に残った瞬間はたくさんあるので、あえて「仕組み」について話したいと思います。ヴィラ九条山での日仏イベント、EUNICの会に参加したところでも感じたのですが、「***」をよく知ってくださっていて、かつ興味を持って紹介してくださる方がたくさんいらっしゃることが印象的でした。ヴィラ九条山では市長がこの事業についてお話されて、その後会場にいた人から質問をいただいたんです。取り組んでいることを言語化して、日英に訳して、伝えるということを地道にやってきたからこその反応だったと思うんですね。それから、新しい活動だからこそ、現場としては手探りで進めている実感があったのですが、実際に海外のレジデンスに自分が参加してみると「ここもまだ手探りなんだな」とか「やりながら考えているんだな」とか、「意外とゆるいんだな」など、いろいろと感じます。日本人はとても丁寧なので、すごく時間をかけて議論して、言葉にまとめて、仕組みをつくって……と並行して取り組むことが多いと思うのですが、それって世界的に見てもすごいことだなと改めて感じました。丁寧だからこそ複雑化していることを日本のいろんなプロジェクトで感じますが、今回は田貝さんが中心となり、何時間ものディスカッションや、いろんな人の想いを最終的にはシンプルな言葉に落とし込みました。その作業は労力が必要ですが、大切なプロセスだったなと感じます。
田貝
いろんな国を見てきた杉田さんだからこその気づきですね。私は、皷谷さんの話とも少し重なるのですが、「***」において「学び」は重要な要素だと思っています。「創造的滞在」というテーマを掲げていますが、もしそれが「創造のための滞在」になるとやっぱり違うと思うんです。いろんなレジデンスがありますが、後者のような場合は、制作物や成果を前提にした、アウトプットを求めての滞在です。だけど「***」は、滞在そのものが創造的なんだ、と言っているのが他のレジデンスと一線を画すポイントになっていると思うんです。関わる人たちが滞在のプロセスから何を得られるのかが重要で、それは参加者の学びの姿勢にもよってくると考えます。若者たちは、学びの一番の当事者ですよね。非常に誠実で、素直なんです。そうした彼らが事業に加わることで、その姿勢から私たちも気づくことがたくさんある。ユース・コーディネーターは学びの感度を上げるきっかけにもなるんだな、というのが印象的でした。
Paul 丹後ちりめん工場見学の様子
Paul 丹後ちりめん工場見学の様子
Jules walking tourでの様子
Jules walking tourでの様子
 
倉谷 
手探りで始めたというのが正直なところですが、この仕組みでやっていけそうだなという手応えがあります。現場の熱量が下がらないことや、関わる人からいただく応援、京都というまちへの海外のニーズも肌で感じます。しっかりと事業の仕組みを考えられたことで、次年度以降も続けていける手応えを感じられたことが、私にとっては一番大きなことでした。

「*(アスタリスク)」とは何か?を探っていく

―2026年度から、「*** in Residence Kyoto」はどのようにありたいと考えますか?  
倉谷
レジデンスオーナーの立ち上げを引き続き支援していくことや、海外のインスティチュートとの関係性を深めていくことなどいろいろと取り組むべきことがありますが、私は一貫してとにかく「敵をつくらない」ということを大切にしています。「***」はいろんな方と仲良くしていく事業だ、と言っています。海外と地域を結びつけようという取り組みなので、多くの人にとって関わりしろがたくさんありますが、このご時世、批判も受けやすい事業だと思うんです。方針というより事務局としての姿勢ですが、引き続きその想いでやっていきたいですね。
倉谷誠
倉谷誠
鼓谷
2025年度はユース・コーディネーターにいろんな人が加わってくれたことがすごく良かったな、と思っています。要するに、これまでこのような事業には芸術大学でアートを学ぶ学生が多かったと思うんですが、そうじゃない分野の若者が多く関わってくれました。1月にある個展にユース・コーディネーターのみんなと行ったんですが、そこでの会話で、芸術やクリエイティブへの関わり方や印象が大きく変化していることを感じられたことがすごく面白くて。この仕組みで活動したことで、彼らの変化が生み出せたのかなと感じています。次年度は、ますますいろんな学生に関わってもらえるように、濃い関わりだけじゃない仕組みをみなさんと一緒につくっていけたらと考えています。活動の場がまちの中心地に近くなれば事務局のみなさんとともに取り組むことも増えるでしょうし、イベントに参加するようなライトなところから始められる入口設計もしていきたいです。
ユースコーディネーターと皷谷直紀
ユースコーディネーターと皷谷直紀
田貝
冒頭の「なぜ『*** in Residence Kyoto』になったのか」という話にも重なりますが、「アスタリスク」って言葉はそもそもなんだろうという問いが、100年経っても付きまとうと思うんです。毎年アスタリスク自体がどんどん進化していくと思いますし、どこかのタイミングでみんなで問い直すことも大事な営みじゃないでしょうか。今回つくったビジョン・マップをみんなで見ながら、話す場を持てるといいなと思います。伊能忠敬が200年前に日本地図をはじめてつくりましたが、毎年誰かがいろんな更新をしながら、使い続けている。それと同じことを「***」においてもやっていけたらと思いますし、この地図があることで、私とあなたというような目の前で向き合った関係だけでなく、俯瞰した視点から、自分たちが今どこにいるのかをたしかめることができます。それはすなわち、倉谷さんがおっしゃった「敵をつくらない」という話にもつながるように思います。「敵」というのは、自分と相手が分かり合えないことから生まれてくると思うんですけど、一歩引いたところから見ることで、そうならないで済む。ビジョン・マップも、そういったものとして使っていけたらと思います。その上で、「***」とは何かと問い続ける。我々で議論を重ねていくことはもちろんですが、その輪をさらにひろげていけたらと思っています。
杉田
次年度から新しく始まる取り組みもたくさんありますし、現場でアチーブしたい具体的な目標もたくさんありますが、ストリートのレベルでいろんな取り組みもしつつ、俯瞰した視点を持ち続けたいですね。なんのためにこの団体が存在して、この活動が行われているのかをチームとして定期的に振り返る時間を取れたらと思います。レジデンスの数や受け入れ数を増やすという数値目標ももちろん大事なんですが、それが増えたことで描きたい未来は実現できているのかを言語化し、チームの共通認識として持ちたいと思っています。私自身、いろんなレジデンスに応募する中で、ステートメントがちゃんと書かれていると、すごくいいなと思うんです。たとえばサスティナビリティに注力して活動しているとか、若者の育成のための団体であるとか。掲げることで関わる人ともスタンスを共有できるし、私たちもビジョンを改めて確認していきたいですね。「アスタリスク・ソング」でもつくりますか?
一同 
(笑)
杉田
定期的に歌うのがいいのかわかんないですけど、ビジョンに立ち返ることは次年度も改めてやっていきたいですね。
Jean David Nkot welcomepartyの様子 
Jean David Nkot welcomepartyの様子