【*** in Residence Kyoto 2026】 Youth Coordinator Report

はじめに:あえて残した「余白」という挑戦

「ユースコーディネーター(YC)には【多様な交流を生む主体】として活動してもらいたい。」
 
2025年夏、この言葉を合言葉に、6人の大学生が「*** in Residence Kyoto」に集まりました。本プロジェクトの主役は、海外から訪れるクリエイターだけではありません。「京都の若者が世界の多彩な才能と交流する仕組みづくり」を掲げる本事業において、若者の参画は不可欠な要素です。彼らにとって真に有意義な「交流」とは何かを考えたとき、私たちはあえて具体的なタスクを与えず、「正解のない余白」を用意することにしました。
 
私たちが手渡したのは、整えられたマニュアルではなく「多様な交流を生む主体であってほしい」という、自由で重い問いでした。当然、学生たちからは戸惑いの声が上がりました。「何をすればいいんですか?」「正解はなんですか?」 活動当初、学生たちからは戸惑いの声も上がりました。与えられた業務をこなすことに慣れていた彼らにとって、この「自由」は時に不親切で、残酷なものだったかもしれません。しかし、自ら悩み、考え、動き出すプロセスそのものがなければ、本当の意味での「主体」にはなり得ないと考えたのです。
 
その重い問いを身体に落とし込むために、オリエンテーションではかなりの時間を使い、「YCとしてどうありたいか?」を言語化・可視化するワークを行いました。 用いたのは、レゴ®シリアスプレイ®というファシリテーション技法です。論理的な言葉になる前の、手触りのある感情や直感をブロックに託し、自らのミッションを組み立てていきました。
そこで、彼らの共通言語として生まれたテーマが「脈づく」です。 単に人と人を繋ぐだけではない。血液が全身を巡り、熱を運び、生命を維持するように、京都という街で生きた関係性を生み出していく。そんな覚悟が込められた言葉から、彼らの半年間は幕を開けました。
また、YCたちは自身の立ち位置を直感的に理解するための重要なメタファーとして【あんバター】で捉えました。「あんことバター。それぞれ単体でも完成された美味しい存在だけれど、この二つが出会うことで、想像もしなかった新しい価値(味)が生まれる。これって、私たちがやろうとしていることそのものじゃないか?」その言葉は、オリエンテーションの合間に交わされた何気ない雑談から生まれました。 京都という土地に根付く歴史や文化(=あんこ)と、海外からやってくる異質な才能や視点(=バター)。この和と洋で一見混ざり合いそうにない両者が、出会い、溶け合うことで、この街に新しい風味をもたらす。 しかし、異質なもの同士は、ただ隣に置いただけでは混ざり合いません。一人のYCは、後にこう記しています。 「あんことバターは一つとして成り立つが、何かと融合することでさらに力を発揮する。YCも地域とクリエイターの間に入り、より美味しくするための『接着剤』のような存在なのではないか」このメタファーはYC活動の中でも重要なキーワードとして使われていきました。
 

葛藤の第1幕:境界線に立つことの「もやもや」

活動初期、YC事務局である私たちが目にしたのは、自由という名の広大な「余白」を前にして、立ち尽くし戸惑うYCたちの姿でした。
最初のミートアップは、異なる業界の大人が集まる熱気に包まれていました。その中でYCの一人は、「英語力に自信がなく、他のYCが積極的に話しかけるのを横目に一歩目が踏み出せない。自分の臆病さに嫌気がさす」と、その夜の日誌に苦い思いを吐露しました。また別のYCは、「何をするのか、どのように関わるのかを未だ練っている不安定さ」を指摘。学生という立場で、プロのクリエイターや地域社会に対してどのように振る舞えば「正解」なのか、その指標のない海で彼らは激しく葛藤していました。
立ちはだかったのは、語学の壁だけではありません。アートという専門領域への気後れも一部のYCを苦しめました。勇気を出して会話の輪に入ろうとしても、専門的な共通言語を持たない自分は、この場における「異物」なのではないか――。そんな疎外感とともに、何の結果も出せていない「何者でもない自分」への焦りが募っていきました。彼らの日誌にこの時期頻発した「もやもや」という言葉は、まさに地域と世界、日常と専門性の境界線に立つ者が直面する、避けては通れない「産みの苦しみ」でもあったのです。
そのような状況下で、海外からクリエイターたちが到着しました。私たち事務局はYCに対し、「とにかくまずは会いに行こう。会うことからしか何も始まらない」と言い続けました。 しかし、現場で求められた「ただそこにいて、友達になる」というミッションは、与えられたタスクをこなすことよりも遥かに困難なものでした。「ここにいていい」という確証が得られない不安から、彼らの中には「もっと雑にでもいいから仕事を振ってほしい」「明確な『業務』として役割を与えられる方が、組織の一員としての居場所を感じやすく、精神的に楽なのではないか」という思いが芽生えていました。彼らは「自由」であることの中に潜む「不自由さ」に直面し、強いもどかしさを感じていたのです。
私たちがマニュアルを用意しなかったのは、YC自身がクリエイターとの関わりを自らの手で作り出してほしかったからです。その主体性の先にこそ、創造的滞在に不可欠なエッセンスがあると考えていました。たとえ経験や知識が未熟だったとしても、一人の人間として向き合うからこそ生まれる「関わりの隙間」がある。そう信じていたからです。
しかし現実には、明確なタスクのない時間は彼らにとって不安の種でしかありませんでした。「学業やプライベートの忙しい時間を割いてまで、ここに行く意味があるのか?」「これは具体的に何かの成果に繋がるのか?」――。 若者である彼らは、どうしても「今の視点(生産性)」に意識が向いてしまいます。目の前の活動が将来の役に立つのか、この関わり方は効率的なのか。そうした問いに晒され、即時的な答えが出ないまま現場に立ち続けることの意味を見失いそうになるYCたちの姿が、そこにはありました。
 

転換点:YCが自ら編み出した「関わり」の形

 
自身のスキルがカチリとハマり、迷いの中で「自分だからできる関わり方」を確信した瞬間
(Kako × Connor)
活動の中で「何をしていいかわからない」という感覚を抱くこともあった彼女にとって、アメリカ人エンジニアConnorさんのアントレプレナーシップイベントでの通訳業務は、劇的な転換点となりました。 専門的な文脈も含まれる場において、自身の語学力を駆使してクリエイターの言葉を正確に届け、参加者との橋渡しを担う。そのプロセスを通じて、彼女は「通訳として動いている時が一番、自分を活かせている」と強烈に実感しました。 曖昧な「交流」という言葉の中で浮遊していた自分が、明確なスキルを通じてプロジェクトに不可欠なピースとして機能する。その手応えを得た時、彼女の迷いは「これが私に向いている関わり方だ」という熱い確信(本人の言葉で言う「激アツ」な瞬間)へと変わりました。
 
インタビューにて自身の関心とクリエイターの関心が共鳴し「個人の哲学そのものに触れる感覚」を得た
(Towa× Zun Ei Phyu)
「平和」や「戦争」という大きなテーマに関心を持ちながらも、それをどう自分ごと化するか悩んでいた彼女にとって、Zuniさんへのインタビューは決定的な転換点となりました。 Zuniさんが表現する「無常」というテーマ。「死」や「喪失」をネガティブな終わりとしてではなく、今この瞬間の生を肯定するものとして捉え直すその哲学に触れた瞬間、彼女の中でずっとバラバラだった「平和への問い」と「アートの視点」がカチリと噛み合いました。 表面的な活動報告ではなく、相手の人生哲学そのものに触れ、共鳴する。その震えるような体験が、彼女を単なる「運営スタッフ」から、言葉を紡ぐ「表現者」へと変えました。
 
自身がアルバイトをしている「ホーム」にクリエイターを招くことで、「サポートする側」から「ホストする側」へ
(Hana × Jules Goliath)
彼女は活動初期、不特定多数とのコミュニケーションに苦手意識を感じ、プロジェクトへの関与が限定的でした。 しかし、自身がアルバイトとして働く大徳寺にクリエイターのJulesさんらを招いた企画で、ユース層を巻き込んだガイドプログラムを実施しました。副住職との交渉、料金設定、クリエイターへのアポイントメント。当日は、見事な英語力と落ち着いた振る舞いで座禅体験を主導しました。参加した他のYCからはに「英語ができる=ガイドができる、ではない。はなちゃんのとってもわかりやすいガイド力に驚いた」 という声が上がり、普段の活動では見えなかった「プロフェッショナルな一面」を見せ、周囲を驚かせました。彼女は日誌に「当日よりも、お寺の意向をどう反映させるかといった準備(企画段階)をこなす過程が大いに学びになった」と記しています。 与えられた場にいる一人の参加者ではなく、裏側の調整・運営を担う「主体的な実践者」へ転換しました。
 
YCの存在を紐解き・捉え直す機会を事務局を巻き込んで行い、YCの定義を自ら拡張させた
(Kazuki × 事務局メンバー)
「関係性とは何か?」「創造性とは何か?」 活動の中盤、定義の曖昧な言葉にモヤモヤを抱えていた彼は、その悩み自体をコンテンツ化し、事務局メンバーを巻き込んだワークショップ「*IRにおける関係や創造性について考える会」を主催しました。 ちゃぶ台を囲み、手作りのおにぎりと味噌汁を啜りながら、立場を超えて車座で語り合う。 そこで彼が引き出したのは、綺麗な定義ではなく「商店街のお惣菜屋さんとクリエイターが仲良くなった」といった、泥臭くも愛おしい具体的なエピソードの数々でした。「答えが出ないこと」も含めて共有できたあの夜、彼は「与えられた役割(YC)」を脱ぎ捨て、事業の価値を自ら定義し直す「探求者」へと進化しました。
 
クリエイターの作品をただ鑑賞・支援するのではなく、自身の関心をクリエイターの表現に重ね合わせ、共に空間を作り上げ、対等なコラボレーションを実現
(Cocone × Zun Ei Phyu / Konstanze)
「お茶」への関心を持っていた彼女は、Zuniさんのファイナルプレゼンテーションにおいて、単なる運営補助としてではなく、「お茶を振る舞うホスト」として空間演出の一部を担いました。 庭で拾った石や葉っぱを使い、即興的に場を設え、訪れる人々に茶を点てる。その行為はZuniが大切にする「供養」の精神と深く共鳴し、作品の一部として溶け込んでいきました。 さらにその経験は次のクリエイターKonstanzeの展示にも接続し、再びお茶の席を設けることに。 「私は何者としてそこにいるのか」という問いに対し、「ケアや安らぎを提供する空間の共同制作者」という独自の答えを、実践を通じて体現しました。
 
批判的な視点や観察者としての立場から一歩踏み出し、個人的な想いを託すことで、クリエイターと「一対一の関係」を結んだ
(ウキン × Jules Goliath)
「これって単なる観光と何が違うの?」 常に鋭く、批判的な視点を持っていた彼女が、物々交換を行うアーティストJulesさんとの対話の中で、ふと見せた変化。 「実は、私の財布の中に、あなたにあげたいものがあるの」。 そう言って彼女が手渡したのは、取材者としてではなく、一人の人間としての個人的な想いがこもった私物でした。 「高価なものではなく、物語のあるものを交換する」というJulesの哲学に対し、論理や批評ではなく、自身の「物語」を託すことで応える。それは、観察者がその境界線を越え、クリエイターとかけがえのない「一対一の関係」を結んだ、静かで美しい瞬間でした。
 
自身のスキルでクリエイターと学生を繋ぐ「架け橋」となった
(Mikuna × Zun Ei Phyu × 学生たち)
「私だからできることは何か?」を問い続けたメンターがたどり着いたのは、得意な「場づくり」でした。ミャンマーのアーティストZuniさんを囲み、他大学の学生を招いて開催した「プチ交流会」。 彼女から教わったミャンマーの国民食「発酵茶葉のサラダ」を、日本の食材で再現して食べ比べる。その美味しい体験の裏で、ミャンマーの若者が学校に通えない過酷な現状や、プロパガンダ教育の実態を語り合いました。「大学に通い、未来を語れること」がいかに特権的で尊いか。 英語やファシリテーションという自身のスキルを使い、同世代と世界のリアルを接続する「架け橋」となれた時、彼女は初めて「ここにいて良かった」という確かな手応えを得ました。
 

エピローグ:文化を「耕す(Cultivate)」身体へ

「ユースコーディネーターを一言で表すと?」
活動の集大成となる1月の振り返り会。そこで飛び出したのは、私たちが当初掲げていた「交流の主体」という綺麗な言葉ではなく、「牛になりたい」という突飛な発言でした。
最初は「咀嚼」や「消化」という言葉が出てきました。そこから、異質なものを取り込んで自分という土壌を育てる「農業」や「開墾」というキーワードに発展した時、あるメンバーが指摘しました。「そもそも文化(Culture)の語源は、土地を耕す『Cultivate』から来ている。だから農業とつながるのは必然だ」と。
その場にいた全員が笑いながらも、深く頷いた瞬間でした。彼らが半年間で行ったのは、用意された畑で果実を収穫することではありませんでした。固い土を掘り返し、時には泥にまみれながら、自分という「土壌」そのものを耕すプロセスだったのです。
彼らは、京都という土地で出会った異質な才能や理解しがたい他者を、単に消費するのではなく、一度飲み込み、胃袋から戻しては何度も噛み直す(反芻する)。 即時的な成果を求められる社会の中で、分からなさを抱えたまま「もぐもぐ」と咀嚼し続ける身体を持つこと。それこそが、異文化を血肉に変え、新たな価値を産むための唯一の作法だと気づいたのです。
 

想像を超えた「役割」の獲得、そして新たな旅路へ

「何をしていいかわからない」という停滞から始まった彼らの旅は、半年間の「醗酵」期間を経て、それぞれ独自の役割を獲得していきました。そしてその変化は、プロジェクトの枠を超え、彼ら自身の人生の選択にも大きな影響を与え始めています。

① YCとしての変化

当初、彼らは「運営の補助」や「通訳」といったわかりやすい役割を求めていました。しかし、正解のない問いやクリエイターとの摩擦の中で、彼らは既存のラベルを剥がし、自分たちなりの「YCとしてのあり方」を定義していきました。
  • 「問い」を立てる主体へ: 活動中盤、「関係性とは何か?」という疑問にぶつかったYCは、与えられた業務をこなすのではなく、その悩み自体をワークショップ化し、事務局や他のYCを巻き込んで対話する場を主催しました。受動的な「手伝い」から、プロジェクトの意義そのものを問い直す「探求者」へと変貌した瞬間でした。
  • 「違和感」を「咀嚼」する: 「これは観光と何が違うのか?」という鋭い視点を持ち続けたYCは、即時的な成果を求めるのではなく、「人間を辞めて牛になりたい(反芻したい)」と宣言しました。分からないことを分からないまま抱え、時間をかけて消化する。その「遅さ」こそが、文化を深く理解するために必要なスタンスであることを、彼女は身をもって示しました。
  • 「サポート」から「ホスト」へ: どこか「お客さん」のような居心地の悪さを感じていたYCたちは、自身の得意分野(お寺のガイド、起業イベントでの通訳)を通じて、クリエイターを迎え入れる側に回りました。「英語ができること」と「ガイドができること」は違う。自らのホームに招き入れ、自分の言葉で文化を翻訳する経験が、彼女たちを自信ある「ホスト」へと変えました。

② 活動のその先へ

半年間の活動は、彼らの卒業後の進路やライフスタイルの選択にも、静かですが決定的な影響を与えています。「サポートする側」から「何かを生み出す側」へ。それぞれの方法で、彼らはアスタリスクの続きを歩み始めています。
  • 「サポーター」から「プレイヤー」へ: 「クリエイターの補佐をするのが悔しかった」。活動を通じて湧き上がったその感情は、彼に決定的な決断をさせました。彼はサポート側の立場を卒業し、活動の中で出会ったレジデンスオーナーの元工場を借りて、自身の個展を開催することを決めました。春からは東京で就職しますが、一人の「表現者(アーティスト)」として、この経験を糧に創作を続けています。
  • 「支援者」から「生活者」へ: 「良い滞在とは何か」を知るためには、自分自身が滞在者にならなければならない。そう考えた彼女は、前年度のモデル事業である「山口書店」で、今度は自分自身がレジデンスを行うことを計画しています。運営側から、実際にその場に住まい、場を耕す「生活者」へ。彼女の実践は、プロジェクトの枠組みを超えて続いていきます。
  • 「構造」を作るプロフェッショナルへ: メンターとして関わった彼女は、直接的な支援だけでなく、「人が育つ環境や構造を設計すること」の重要性に気づきました。春からはITコンサルタントとして東京で働きますが、それは「人の成長を支える仕組み」をデジタル領域で作るためです。そして、「必ず京都に戻ってくる」と断言する彼女にとって、この街はもはや単なる観光地ではなく、いつか帰るべき「ホーム」となりました。
  • 次なる「アスタリスク」の担い手へ: 平和への問いを抱えながら、体当たりでぶつかっていった彼女は、来年度、今度は事務局のアシスタントとして、この事業の「仕組みづくり」側に関わることを検討しています。プレイヤーとしての経験を、次はより良い場を作るための知見として還元していく。循環の輪が、ここからまた始まろうとしています。